見当識障害
おかしいなと感じたら、まず最寄りの医療機関へいってみましょう。
人が生活するのに必要なさまざまな関係性を、感覚的に理解することを見当識(けんとうしき)といいます。言い換えれば、自分が今おかれている状態を理解する能力とも言えます。 認知症に関わりの大きい見当識は、次の3つです。
- 時間の見当識
- 場所の見当識
- 人物の見当識
時間の見当識
時間の見当識とは、時間の流れやリズムの中で、今どこにいるかという感覚のことです。 注意したいのは、正確な日付の記憶そのものではないということです。誰でも、突然今日の日付を聞かれると間違うことがあるからです。 時間の見当識には、例えば
- 季節感(春夏秋冬)
- 月の上旬・中旬・下旬
- 1日の中の朝・昼・夕方・夜
などが挙げられます。
障害がおこると
- 夏に冷房が効きすぎていたので「寒くない?」と尋ねると、「冬だもの、仕方ないじゃない」と答える
- まだ月はじめに、「月末になったら娘が遊びに来ると言っていたのに、まだ来ないのよ。どうしたのかしら?」などと言う
- 夜中に新聞を取りに行ってしまう
ということがあります。
場所の見当識
場所の見当識の代表的なものは、次のように分けることができます。
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地誌的見当識(道順障害)
自分が今いる場所と、目標の場所との位置関係をつかむ感覚
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地誌的関係の表象能力(地誌的記憶能力)
実際に目標の場所に行くにはどのような順路を取ればよいか、などの位置情報を整理する感覚
障害がおこると
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地誌的失見当識
- 家から駅までなどの、通り慣れた道で迷子になってしまう
- 家の中で、今いる部屋からトイレに行けなくなってしまう
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地誌的記憶障害
- 家から駅まで、どの道を通ってどこからバスに乗るのか、例えば「煙草やさんの角を左に曲がって、小学校の前の停留所からバスに乗る」というように言葉で伝えたり、簡単な図にして説明できなくなってしまう
ということがあります。
人物の見当識
自分の名前や生まれ育った場所などだけではなく、自分と他の人とのつながりなど人間関係の位置情報を把握する感覚のことをいいます。
障害がおこると
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夫(妻)のことが分からない
顔を忘れたのではなく、顔は見覚えがあるけれど、夫(妻)というつながり(自分との関係、続柄)がわからないということがあります。
また、場所の見当識の障害はあるけれど、人物の見当識は障害がない一例として
- 施設に面会に来た家族に囲まれている状況で、「ここは自宅です」という施設」という場所を認識できていないけれど、「家族」という人間関係は分かっている
ということがあります。
見当識は、自分が誰で、今どこにいるのかを把握していられる時計(太陽の光)、方位磁石、身分証明書や家族のアルバムのようなものだと思います。普段はさほど意識していませんが、どれが無くなっても、とたんに目に見えない渦の中に放り出されたような不安に襲われるのではないでしょうか。そんな時、自分が理解できるシンボル、例えば北斗七星が見えたり、知っている人から声をかけられると、ほっとすると思います。少し抽象的ですが、「これが正しい」ということを言い聞かされるよりも、「これなら分かる」ことを示してもらったり、暖かい手を差し伸べてもらえると、安心できるように思います。(HR)